傭兵の野営地

築造費 2,000
修復費 800
修復費(廃墟の場合) 1,600
  • -10% 傭兵部隊の募兵費
  • +1 地上軍の募兵可能数
  • -6 食糧
建設物チェーン 【アテナイ, カルタゴ, カルタゴ(ハンニバル侵攻), キンメリア(黒海沿岸植民市パック), コルキス(黒海沿岸植民市パック), エジプト, エジプト(インペラトール・アウグストゥス), エペイロス, マケドニア, マッシリア(黒海沿岸植民市パック), ペルガモン(黒海沿岸植民市パック), ポントス, シラクサ, シラクサ(ハンニバル侵攻)】
建設物チェーン 【バクトリア】
建設物チェーン 【セレウコス朝】
建設物チェーン 【スパルタ】
解説

東方のヘレニズム国家では市民兵となるべきギリシア人の数が少なく、それを補うために現地の民と傭兵が使われました。アレクサンドロスの時代が去ると、軍事指導者は軍の質よりも量を評価するようになり、ギリシア人兵士は僅かでも7万人もの軍を擁する勢力も現れました。西方のヘレニズム国家では紛争が絶えず、ギリシア人の人口は減少の一途を辿り、ここでも同じように傭兵がその穴を埋めました。スパルタのクレオメネス3世はBC227年にペリオイコイのうち優秀な者を5千人選抜してスパルタ軍を補充し、マケドニアのフィリッポス5世はローマとの戦いで大打撃を受けて王国を再編成せざるを得ませんでした。その後の平和な期間にマケドニアの兵力は回復し、再び大軍を召集できるようになりましたが、次代のペルセウスの敗北によりマケドニアは滅亡の道を辿りました。