キンメリア(黒海沿岸植民市パック)

遥かな故郷: +2 文化の移行
ギリシアの知識: +5% 研究速度

解説

キンメリアのボスポロスは戦略的に重要な位置にあり、その豊富な資源のために千年もの長きに渡り戦いが続けられました。BC6世紀から7世紀の間に、黒海沿岸にはミレトスを始めとするギリシア都市から冒険好きな人間が大挙して訪れ、ケルチ海峡やアゾフ海近辺に幾つもの植民市を築きました。彼らの目的は黒海周辺の資源を開発し、ギリシア本土との交易によって莫大な富を獲得することだったのです。

当時の多くの植民市の場合と同じく、黒海においても植民者たちと先住民であるスキタイ人、及びサルマタイ人の衝突が度々繰り返されました。しかしそのような戦いと同時に文化的な交流も行われ、長い年月が経過するうちに二つの文化がある程度混交した独特の生活様式が確立されました。BC5世紀の始め頃までは名門貴族のアルカイアナクス家が植民市を指導していましたが、BC438年にトラキア出身であるスパルトコスが執政官となって統治の実権を握り、以後は彼の子孫たちによる王朝がキンメリア王国を支配しました。

王国の未来を拓いたのはスパルトコスの子サテュロス1世であり、彼は近隣のギリシア都市を征服して領域を拡大し、アテナイと友好関係を結んで商業を発展させました。しかしキンメリアは国力を蓄えた今になっても周囲の遊牧民部族、そして貪欲なポントスからの脅威を受けています。王国を滅亡の危機から救えるのは強大な軍事力のみであり、統治者はそのために最大限の努力を払わねばなりません。

他の家系

有力な一族の者は共有する文化によって宮廷で結び付きます。年齢と経験により、これらの貴族たちは必要に応じて助言を行うか、あるいは王に代わって統治する資格を持ちます。

スパルトコス朝

スパルトコスは専制君主ではありましたが、自分自身が慈悲深い支配者であることを証明しました。この王国は公正さによって統治され、他のギリシア勢力と良好な外交関係を築いています。
  • 専制者: +5% 汚職
  • 多文化主義: -25% 異文化の存在による社会秩序ペナルティ
  • 豊穣なるボスポロス: +25% 農業施設からの利益