アテナイ(スパルタの憤怒)

奴隷: 50% 奴隷数の減少の緩和
奴隷: -85% 奴隷による社会不穏、及び奴隷からの利益

解説

アテナイはギリシアで最古の歴史を持つ都市の一つであり、そこは4500年に渡って多くの人間が生まれ、生活し、そして死んで行きました。かつては青銅器時代のミュケーナイ人たちの重要な拠点であり、アクロポリスとして知られるアテナイの露出した自然岩の台地にはミュケーナイ文明の神殿が既に建立されていたと伝えられています。

BC2000年頃からイオニア人による定住が始まり、都市は世襲の王によって統治されていましたが、徐々に有力貴族の合議による政治へと変化し、初期の寡頭制へ移行したと考えられています。アテナイ人は周辺の都市との交易関係を築き、貨幣経済の発展と共に平民の発言力が増して、貴族と度々衝突するようになりました。その後のソロンの改革による平民の権利拡張、そしてペイストラトスによる僭主政治を経験し、遂にBC508年の改革によってギリシア世界の規範となったアテナイの民主政が誕生したのです。

BC499年、アテナイを始めとするギリシア都市とアケメネス朝ペルシアが武力衝突しました。直接の引き金は小アジアで勃発したイオニアの反乱にアテナイが介入したことですが、それ以前からエーゲ海の覇権を争ってペルシアとアテナイは一触即発の状態にありました。長く続いたペルシア戦役はペルシアの遠征軍によるギリシア本土への侵入という事態に至りましたが、BC479年のサラミスの海戦で勝利を収めたギリシア軍は最終的にペルシア軍の撃退に成功しました。

海戦を主導したアテナイの名声は高まり、ペルシアの軍事的脅威を排除した結果アテナイとデロス同盟の海上覇権が確立されました。アテナイはギリシアの文化、学問、建設などの中心地であり、全ギリシアの守護者たる責務を担うのは当然だと言えます。しかしスパルタなどの有力都市は常に自分自身こそがギリシアの盟主だと考えており、増大するアテナイの軍事力と経済力を警戒しています。その上デロス同盟に加盟している都市の間にもアテナイに対する批判があり、その地位は決して磐石とは言えません。 ペルシア戦役から50年後、今度はギリシア人同士の戦争が始まろうとしています。勝者への褒賞は全ギリシアの事実上の支配となるでしょう。アテナイの海軍力はスパルタの比類ない地上軍に匹敵します。彼らの同盟者に注意し、海上での優位を最大限に生かすことができれば、アテナイ海上帝国の創建も遠くはないでしょう!

アルクマイオン家

アルクマイオン家はBC7世紀からアテナイで政治指導者を輩出した名家です。一門の人間が陶片追放を受ける場合もありましたが、アテナイに戻ってこない者はいませんでした。
  • 帝国の夢: -10 全地域の幸福度
  • 文化の中心地: +10% 全ての文化からの利益
  • 木の壁: +1 全港の募兵スロット

貴族派

長年アテナイは富と土地の多くを所有する有力貴族によって支配されていました。民主的な改革によって彼らの権威は減少しましたが、未だ強い発言力を保持しています。

フィライオス家

多くの富を持つ大地主であり、アイアスの子フィライオスの末裔を名乗っています。アテナイの偉大な二人の将軍、ミルティアデスと息子キモンはこの家門の出身です。

民衆派

古代アテナイにおいては、投票区の有力市民が近代的な政党のような政治的派閥を形成していました。彼らの後には多くの市民たちの意志が続いています。