ポントス

ペルシアの交易遺産: +10% 全商業施設からの利益
偉大なる射手: +25% 全部隊の矢弾数

解説

黒海に面したポントスの国土は多くが起伏の多い山岳地帯であり、ペルシア人とギリシア人の移民の子孫たちが互いに結びつきを強めながら生活しています。黒海交易の多くを支配しており、また古代のあらゆる社会と関係を保っています。さらに国家間の情勢を探る情報収集のため、王が派遣したエージェントが各地で活動しています。

海軍と地上軍は十分に信頼に足る軍であり、特にポントスの艦隊は他の海洋国家と比べても引けを取りません。ただポントスは馬を産出しないため、騎兵が少ないのが唯一の弱点と言えるかもしれません。軍の陣容はギリシアとペルシアの両方の影響を受けており、どのような敵にでも対処できるでしょう。

ポントスが誕生した当初はアケメネス朝ペルシアの属領であり、カッパドキア太守の監督地の一部でしたが、アレクサンドロス大王がペルシアを滅ぼし、その大王の没後BC333年にアンティゴノス1世に服属しました。彼らが独立を得たのはアンティゴノスの戦死後のBC302年に、ミトリダテス1世キステスの指導下においてでした。ミトリダテスはペルシア人でしたが、ギリシア人を含めたポントスの国民は彼を絶大に支持し、二つの文化の混淆は保持されたままでした。

今やポントスはプトレマイオス朝の侵略を撃退し、小アジアの全域、そしてギリシア本土にまで領地を獲得できるだけの実力があります。大帝国の誕生が、まさに始まろうとしているのです…

他の家系

ミトリダテス朝の宮廷は、沿岸部のギリシア人勢力と内陸部のイラン人の上流階層がユニークに入り混じっています。イラン人たちはペルシア帝国時代の貴族にその祖先を求めることができます。

ミトリダテス朝

もともとはアケメネス朝ペルシアのカッパドキア太守であったミトリダテス朝の王は、アレクサンドロスの征服後も地位を守り続けました。大王の死後、アンティゴノス朝マケドニアから独立を勝ち取り、セレウコス帝国とも戦いながらその地位を確立したのです。
  • 見捨てられたペルシアの起源: 全東方勢力との外交における重度のペナルティ(文化的な嫌悪)
  • ギリシア好き: 全ギリシア勢力との外交におけるボーナス(文化的な好感)
  • 蛮族の制圧者: +10% 蛮族との戦闘時の士気
開始時の領土
シノーペ アマセイア
勢力固有の部隊