公衆トイレ
築造費 | 1,700 |
修復費 | 680 |
修復費(廃墟の場合) | 1,360 |
- +2 ラテン文化の影響力
- +4 1ターン毎の発展度
- +2 1ターン毎の社会秩序(衛生)
解説
ローマでは個人の家に下水道は通っておらず、屋内で排泄する場合は汚水溜めに流されました。そこから奴隷や業者が廃棄場に処分したため、下水道に直結しているトイレと言えば公衆トイレ以外にはなかったのです。市内に備え付けられた公衆トイレは正方形の大型施設で、30人以上の人間が同時に用を足せ、そこでは社会階層による区別もありませんでした。富裕階層の邸宅ならば奴隷が尿瓶を用意していたかもしれませんが、公衆トイレでは例え執政官であろうと庶民の隣の席に座るしかなかったのです。ローマには114の公衆トイレがあったと伝えられており、そこは皆が分け隔てなく(ローマ人は公衆トイレに現在のような仕切りを作りませんでした)歓談する、一種の社交場でもありました。詩人のマルティアリスは、夕食に招待されようとして公衆トイレをうつろく男を笑いの種にしています。公衆トイレはローマの偉業の一つである汚水処理の末端施設であり、屎尿は下水網を通ってテヴェレ川に流されました。