近衛軍団兵
募兵費 | 1,280 | |
維持費 | 200 | |
白兵戦攻撃 | 65 | |
武器ダメージ | 39 | |
対歩兵ボーナス | 2 | |
突撃ボーナス | 19 | |
白兵戦防御 | 55 | |
防具 | 85 | |
耐久力 | 65 | |
基本士気 | 70 |
解説
ラテン語で近衛隊を意味するプラエトリアニは、ローマの法務官(プラエトル)の護衛兵に由来します。共和政の初期からあった慣習で、各部隊の歩兵と騎兵から指揮官の護衛兵を選抜し、コホルス・プラエトリアと呼ばれる部隊を編成しました。当初はローマ市民に限られていましたが、ローマがイタリアの覇権を握るとラテン市民権を持つ兵士の中からも選ばれたようです。アウグストゥスが帝政を開始すると、彼は自身の身を守るために優秀な兵士たちが必要だと考え、ローマ市内に入ることのできる唯一の軍としての近衛軍団を編成しました。アウグストゥスの時代には顕在化しませんでしたが、首都における軍事力の存在は彼らが政治的な干渉を行う危険性を内包していました。皇帝が近衛軍団を完全にコントロールできれば別ですが、現実はしばしばそうならなかったのです。BC41年にカリグラ帝が暗殺された後、クラウディウスを探し出して皇帝の座に就けたのは近衛軍団でした。さらに軍人皇帝の時代になると近衛軍団が皇帝を擁立するという本末転倒な事態となり、ローマの混乱の大きな要因の一つとなりました。