ギリシアカタフラクト
募兵費 | 1,420 | |
維持費 | 210 | |
白兵戦攻撃 | 46 | |
武器ダメージ | 27 | |
対騎乗部隊ボーナス | 10 | |
突撃ボーナス | 76 | |
白兵戦防御 | 23 | |
防具 | 90 | |
耐久力 | 120 | |
基本士気 | 70 |
解説
馬に鎧を着せることを最初に考案したのはイラン及びペルシアの遊牧民だとされていますが、セレウコス朝は戦闘における重騎兵の有効性を認識し、それを軍に導入した最初の西方勢力となりました。BC200年のパネイオンの戦いで、アンティオコス3世はカタフラクトによって勝利を手にしました。敵方のプトレマイオス朝軍を率いていたアイトリアのスコパスは、主力部隊の歩兵を支援するために両側面に騎兵を配置していました。セレウコス朝軍のカタフラクトの突撃によりエジプトの騎兵は文字通り追い散らされ、歩兵部隊の側面と背後が露出しました。それに続く全面攻撃にプトレマイオス朝軍は持ち堪えることができず、総崩れとなって敗走したのです。スコパスはシドンへ逃亡し、この結果ユダヤの支配権はプトレマイオス朝からセレウコス朝の手へと渡りました。