ユリアのための晩餐
- +4 ラテン文化による社会秩序
解説
BC54年の8月、カエサルの娘ユリアは産褥のために死亡し、生まれたばかりの赤子も母親の死の数日後に短い生涯を終えました。娘を弔うため、そして妻を亡くしたポンペイウスに対する支持を示すためにカエサルは娘を追悼する大規模な晩餐会を催しました。伝統的なローマの葬儀ではこのような葬儀晩餐会はノウェンディアリスと呼ばれ、命日から数えて9日目に家族によって行われる食事会であり、服喪の期間の終わりを意味する日でもありました。セネカなどの記述によれば娘が死去したことをカエサルが知ったのはブリタニア遠征の最中であり、彼は帰国した後にノウェディアリスを補う意味で大晩餐会を開いたのです。