パルティア遠征の支援

解説

BC55年に執政官に当選したクラッススの次の希望は属州総督としてシリアへ赴くことでした。彼はポンペイウスやカエサルのような軍事的な功績がなく、それを喉から手が出るほどに求めていたのです。第三次奴隷戦争で彼はスパルタクスの軍を最終的に撃破したものの、その戦後処理があまりに残酷だったこととポンペイウスが鮮やかに戦勝したことを併せ、スパルタクスの乱を鎮圧した功績はポンペイウスにあると人々は認識していました。クラッススは東方の大国に勝利を収めれば巨大な軍功を挙げられると考え、対パルティア戦を計画しました。しかしBC53年のカルラエの戦いでクラッススの軍団は潰滅して彼自身も戦死を遂げました。ローマの人々はクラッススが喉に融けた黄金を流し込まれて殺されたという俗説を長い間信じていました。

研究要件
技術
有効化
建設物
利用可能な勢力