メディア騎兵
募兵費 | 620 | |
維持費 | 120 | |
白兵戦攻撃 | 40 | |
武器ダメージ | 25 | |
対騎乗部隊ボーナス | 15 | |
突撃ボーナス | 34 | |
白兵戦防御 | 35 | |
防具 | 70 | |
耐久力 | 80 | |
基本士気 | 50 |
解説
メディアは現在のイランの北西地域にあたり、古代メディア王国がアケメネス朝に滅ぼされてからは様々な統治者によって支配を受けました。ペルシア帝国がアレクサンドロス大王によって征服された後、彼は広大なメディア地方も手中に収めました。統治上の理由からBC323年に大王はメディア地方を二つの領域に分割すると宣言しました。南方をペイトンと呼んでマケドニア領とし、北方はアトロパテネと呼び、この地を任されていたペルシアのサトラップに引き続き委ねたのです。ペイトンはアレクサンドロスの死後セレウコス朝の勢力下に組みこまれ、ギリシアの影響が色濃く及びましたが、アトロパテネ王国はペルシアの文化風俗がそのまま残されたのです。ミトラダテス1世によりパルティアの勢威が増し、メディア地方一帯を勢力下に置いた後でもアトロパテネは存続を許されました。この土地は軍馬として、また神聖な儀式に使われる馬として有名なニサイア馬の産地として知られており、メディア人は優秀な騎兵を輩出しました。彼らは特徴的な衣装を着ており、のちのサーサーン朝の時代にも騎兵として活躍しました。