黄金期

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解説

シラクサはその歴史の中で長い期間を僭主 - 民主的に選ばれたわけでもなく、王の血統として生まれたわけでもない人間が、実力でその地位を得た統治者 - が支配しました。最も有名な僭主はヒエロン2世であり、彼はもともとエペイロスのピュロス王の配下の将軍でした。ピュロスがシチリアを攻撃した際に彼は王に従っていましたが、BC275年にピュロスがシチリアを去った後もこの島に留まることを選びました。彼が名声を高めたのはマメルティニ(カンパニア人傭兵の集団)がメッサナからシラクサを略奪するために襲撃した時で、彼は軍を率いてマメルティニを撃退し、シラクサ市民の支持を得て統治者となったのです。彼は公正な為政者として人気を集め、続く60年間をシラクサの「黄金期」として繁栄に導きました。シラクサの町は拡充され、ヒエロンの祭壇や大劇場などの壮大な建設物が築造されました。第一次ポエニ戦争ではカルタゴに味方しますが、ローマに敗れると和平を結び、以後はローマの忠実な同盟者としての立場を守り続けました。ヒエロンはBC215年に死去しますが、後継者であるヒエロニュモスは再びカルタゴと手を結び、それがシラクサ敗亡の原因となりました。ヒエロンの優れた税制はローマがシチリア全島を属州に組み込んだ後も採り入れられ、ローマ人はそれをレクス・ヒエロニカと呼びました。

研究要件
技術
有効化
建設物
利用可能な勢力