白兵ディエレス船, ヌミディア槍兵

募兵費 300
維持費 60
船体強度 501
船速 6
白兵戦攻撃 13
武器ダメージ 20
白兵戦防御 64
防具 15
耐久力 45
長所と短所
  • 非常に脆弱な船体
  • 非常に軽装備の搭乗員
  • 高い船速
  • 低い衝角突撃能力
  • 高い接舷移乗能力
  • 平均的な防御の部隊
  • 小さなダメージと平均的な徹甲力
  • 脆弱な攻撃
  • 低い士気
解説

衝角が軍船に装備されたのはBC9世紀頃とされています。この武装によって海軍とその戦術は大きく変化し、船は単に兵士を乗せるだけの役割ではなく、それ自体が兵器として運動するようになりました。衝角は青銅製で、当初は牛の角のように鋭角に造られましたが、敵の船体に刺さって抜けなくなる事態が発生したため、先端が広がった扇のような形が主流となりました。敵船に体当たりして船殻に被害を及ぼすにはガレー船の速度や衝突角度が重要となり、より速く、より小回りが利く船が求められました。速度を上げるには多くの櫂を必要としますが、船内スペースには限界があり、船体を大きくすれば機動性が減少します。そのため漕ぎ手の腰掛けを延長し、一本の櫂を複数の人間で漕ぐことで解決を図りました。これらの船は高速で機動力があり、不測の事態にも対応することが可能でした。またいくつかの国は海戦の新兵器として火壺を使用しました。これは可燃油や硫黄、樹脂で満たされた素焼きの壺で、着火したのち敵船に放たれました。上手く命中すれば消火に非常に時間がかかるため、敵の戦闘能力を大きく削ぐことができました。

勇猛な戦士の伝統を持つヌミディアは東のマッシュリ族と西のマサエシュリ族に分かれており、彼らは同族ながら激しく反目を続けていました。第二次ポエニ戦争でそれぞれローマとカルタゴに味方しましたが、BC202年のザマの戦いのあと結果としてマッシュリ族の王子マシニッサによって統一されました。第三次ポエニ戦争によってカルタゴが滅亡するとヌミディアは北アフリカの多くを領土に加えようとし、ローマの警戒を招きました。この問題に対してヌミディア王ユグルタは強硬な態度を崩さず、遂にローマを相手に戦いを挑みました。BC112年から始まったユグルタ戦争は長期化の様相を見せたものの、ユグルタの義父であったマウレタニア王ボックス1世の裏切りにより終結を迎えました。ヌミディアは騎兵によって有名ですが、歩兵部隊も勇敢さでは決して劣りませんでした。彼らはギリシア式のトゥレオスや槍を使用しており、カエサルと戦うためにユバ1世が率いた「ヌミディア軍団」にはローマ軍の戦法や装備が導入されていた可能性があります。

利用可能な勢力